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2019年10月22日(火)

昼の座談会
【海外で5人の子どもを育てるママの仕事と家庭のタイムマネジメント】

海外で5人の子どもを育てるママの仕事と家庭のタイムマネジメント

私は5人の子どもを育てながら、香港でエステサロンの経営をしています。ビジネスを立ち上げながら、31歳~40歳までに子どもを5人産みました。子どもは現在10歳・7歳・5歳の双子と来月1歳になるベビーです。今日は私の波乱万丈の人生をご紹介します。海外で生活される皆さんの参考になれば幸いです。

私の軸となった3つの事件

まず、私の軸となった3つの事件についてお話しします。私は小さいころから美容が好きでした。美白の女王、鈴木その子さんの時代。私が中学生の頃です。あの方の息子さんが拒食症で亡くなりましたが、当時は今のように情報がありません。私も食べないダイエットをして摂食障害になりました。

体重が35キロぐらいまで落ちてしまったのです。摂食障害は、本当に物を食べることができません。食べては吐くを繰り返し、回復するまでに15年ほどかかりました。今では美容の仕事をする上で、自律神経の働きが身体にどれだけの影響を及ぼすのか?実体験としてプラスに捉えています。これが一つ目の事件です。

そして、二つ目の事件は19歳のとき、事故で突然父親が亡くなったことです。重機の下敷きになったことが原因で即死でした。朝、「行って来ます」と仕事に出かけた父親が、まさかの事故で帰らぬ人になるという経験をして、人間はいつ死ぬかわからないと強く思うようになり。好きなことをして生きようと20代は結構やんちゃをしました。

そして、三つ目の事件が起きたのは26歳のときでした。健康に気遣う事なく生きて来た私はまさかのスキルス胃がんという発見が難しく、自覚症状があったときは手遅れになることが多いガンになったのです。20代の生存率は3パーセント程度しかありません。昨年、このがんで総合格闘家の山本KIDさんが41歳で亡くなりました。私の場合は、奇跡的にかかりつけの先生が早期に見つけてくださったので命は助かりましたが、胃と胆のうを切除しました。ですので、健康は本当に大事だと思っています。

中山さくらさん
中山さくらさん

仕事と出産、そして離婚と再婚

仕事は20代前半まで美容師をしていました。当時の美容師は給料も安く、月給は11万円ほど。しかも、労働時間は長い。これでは、いつになっても独立はできないと美容師の道は諦め。その後は、昼はアパレルや通信業界で働きながら、夜は水商売のWワークをし、好きでもない仕事でお金を稼ぐという事を20代はやってきました。

29歳で最初の結婚、夜の仕事は辞め派遣会社でキャリアを積んで管理職として働いていました。一人目の子どもを妊娠。仕事のポジションと給料を絶対に守りたいと思っていたので、出産前に保育園の申し込みも済ませ。日本は育休を取るとキャリアが落ちるので、長男が生まれるとすぐに預けて仕事を続けました。半年~1年ぐらい働いたころです。うつ病のような状態になって朝起きれなくなりました。

会社からの営業目標とプレッシャー、新しいミッション、母としての子供のケア、守らなければいけないポジションと給与。負のスパイラルから抜けられず、ある日会社へ行く電車のホームに立っていると・・・自殺する人はみんなこんな気持ちなのかなと考えていましたね。その時にまだ幼い息子が「ママ、ママ」と呼ぶ声が聞こえた様な気がして我に返りました。そして今の仕事を辞めようと思ったんです。人生で仕事をする時間は長いから好きなことを仕事にしようとその時に決断しました。

元々美容の仕事が好きで、自身もガンになったので、健康と美容の仕事に就きたいエステティシャンの道を選びました。技術さえあければいくらでも稼げると考えて独立を決めました。しかし、マーケティングやブランディングもせずに勢いで始めたので、最初はいくら広告を出しても全然お客さんは来ません。営業資金は、20代の頃に貢いでもらったエルメスやヴィトンを全部質屋に売って作りました。「友だちなくしても質草なくすな」という言葉がありますが、その意味を実感しましたね。皆さんも質草は大事にされてください(笑)

設備投資が少なくて済むアロマテラピーが中心でスタートしましたが、本格的なエステ機器を入れなければ客単価が上がらないと感じ、300万円位の投資をし美容機器を導入、スタッフも雇用し、サロンも広い部屋へ移転し、一気に巻き返そうと思ったところで双子を妊娠しました。ドクターからは双子は出産のリスクが高いので、仕事は7ヶ月目ぐらいまでにするよう言われました。しかし投資したばかり。スタッフも雇っていましたので、仕事を辞めることはできません。結局出産2日前まで仕事をして、出産後は1週間で復帰しました。その子も生後2ヶ月から預けっぱなし。今考えると、目の前の事で毎日が必死でした。。

もちろん、旦那さんはいましたが、私は人の人生にぶら下がって生きたくないと思っていましたので、自分の会社をやっていきたいと考えていました。旦那さんは、私が何をしようが温かく見守るタイプの人でした。

そして、双子ちゃんが1歳になって、一番上の子が6歳、次の子が4歳になったとき、ふっと旦那さんのことが好きじゃないかもしれないと思いました。たしか35歳でしたが、人間はいつ死ぬかもわからないし、本当に愛する人と一緒に人生を歩みたいと思ったのです。旦那さんには本当に申し訳ないと思いましたが、「私たちのチームは解散しませんか?」と相談し、離婚、シングルマザーになりました。

その頃から海外で仕事をしたいと思い始めました。香港にご縁があったのは、保険の投資からでした。
エステサロンのお客様で香港で保険の会社を経営されている方がおり、そのかたの勧めで保険へ加入する為に初めて香港へ。その時に一緒にエステサロンを香港で始めないか?というご縁があり。
海外進出するチャンスかもと思い、香港でのエステサロン業務をスタートしました。

しかし、1ヶ月の内、日本と香港を半々で行き来きする生活はシングルマザーの私には大変でした。
日本にはベビーシッターがなかなか居ないし、高額。5~6人の方にシフトを組んでお願いしましたが、子どもが病気をすることもあります。日本と香港どちらもはできない。そう思って日本のサロンを閉めて拠点を香港に移すことに決めました。その頃、香港で今の旦那さんと出会いました。離婚から再婚までは2年もかかりませんでしたね。勢いとある程度の自信が人生のキーでした。考えたら何もできません。

貴重なお話をして下さいました
貴重なお話をして下さいました

子どもにはサバイバル力を

再婚し、今の旦那さんとの間に生まれた5人目がもうじき1歳になります。香港へ移住した当初はヘルパーさんを雇っていましたが、Babyが生まれてから、自分達の手で子育てしたいと思う様になり、働き方を変え、旦那さんと協力しながら子供達と過ごす時間を最優先に生活するスタイルに変えました。
ヘルパーさんを利用しなくなった理由のもう一つは、ヘルパーさんに頼りっきりで、子どもが自分の事を自分でできなくなってしまったからです。

私は、親の役割は子どもを自立させることだと考えています。私のお腹から出た時点で、彼らの人生があります。自分でなんでもできる子になってほしい。どこにいても生きていけるサバイバル力が大事です。そのために、語学も学ばせ、学校はローカルに入れました。

私が仕事が出来る時間は1日の内、5時間。毎朝優先順位を決めてTO DOをこなして行きます。
目先の仕事に追われがちですが、先の投資の仕事も毎日コツコツやる様に心掛けています。
有難い事に旦那さんが何でも出来るスーパーマンの様な人なので、家事全般は得意でその時出来る方がやる様にしています。無理して嫌なことをしないスタイル。旦那さんとは喧嘩もたくさんしますが。本音が言えて尊敬できるパートナー関係をこれからも築きたいと思っています。
2回目の結婚は愛する人と幸せな家庭を作る。そう自分の中で決めたら、結構楽に生きられるようになりました。また日本ではキチンとしていなければいけないという傾向がありますが、香港は人は人。本当の意味で自由な国。私は香港に来て良かったと思っています。

人生何が起きるかわかりませんので、好きな仕事をして、世の中に貢献する。好きな人と一緒に人生を歩みたいと今もこれから先もずっと思っています。その為に失敗を恐れず、これからも直感力を信じて色々な事にチャレンジして行きたいと思って生きています。

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